慈悲の心を持つということ

2017年4月21日

慈とは、「同朋に対して、利益と安楽をもたらすこと望む」ことであり、悲とは、「同朋から不利益と苦とを除こうとする」ことであるという。総称して真実の友情、純粋な親愛という意味になる。
いずれにしても、これらの欲求が、頭で考えてこうあるべきと行動されるものであっても無意味だ。そうではなく、ごく自然にわき上がる希求となって満たされたとき、その人は慈悲の人とされる。

あたかも、母が己が独り子を命をかけて
護るように、そのように一切の生きとし
生けるものどもに対しても、無量の慈し
みのこころを起こす。 仏陀

という慈悲の境涯に達するものである。これこそが覚者の姿なのである。

『ブッダの道』2008 学研

慈悲の心を持つということ

2017年4月21日

「慈悲の心を持つということ」

慈とは、「同朋に対して、利益と安楽をもたらすこと望む」ことであり、悲とは、「同朋から不利益と苦とを除こうとする」ことであるという。総称して真実の友情、純粋な親愛という意味になる。
いずれにしても、これらの欲求が、頭で考えてこうあるべきと行動されるものであっても無意味だ。そうではなく、ごく自然にわき上がる希求となって満たされたとき、その人は慈悲の人とされる。

あたかも、母が己が独り子を命をかけて
護るように、そのように一切の生きとし
生けるものどもに対しても、無料の慈し
みのこころを起こす。 仏陀

という慈悲の境涯に達するものである。これこそが覚者の姿なのである。

『ブッダの道』2008 学研

仏陀の道

2017年4月18日

続き
「慈悲の心を持つということ」

実際、仏典には、あらゆる人間的苦悩で迷い、深刻に思
い悩む人々が登場するが、ひとたび覚者となった者は、そ
の苦悩から解放され、超然とした存在となる。どこまでも
揺るがせられることのない穏やかな印象だ。そして彼らは
厳格である。
『ブッダの道』2008 学研
続く

ブッダの道

2017年4月4日

人間の体とは、母体において初めての心
が起こり、初めての識別が現れてから、
死時に至るまで、この間におけるこの人
間の体のことである。

『ブッダの道』2008 学研

人としての意識が生まれ、肉体がそれを感じはじめたと
きから、それは人間であるというのだ。これは極めて科
学的な定義であると同時に、仏陀の仏道修行に対する基
本的な姿勢を表している。

ブッダの道

2017年3月30日

花を摘むのに夢中になっている人が、未
だ望みをはたしていないうちに、死神が
彼を征服する。
(『ブッダの道』2008 学研)

普段我々は、よほどのことがない限り、死を意識することはない。だが、死は誰のそばにも横たわっている。たとえ若くて健康であっても、いつ死が訪れても不思議ではない。これこそが苦の根源である。

仏陀

2017年3月29日

死が人をさらってゆく。

(『ブッダの道』2008 学研)

何故修行するのか

2017年3月28日

想いを離れた人には、結ぶ縛めが存在しない。知恵によって解脱した人には、迷惑が存在しない。想いと見解とに固執した人々は、他人と衝突しながら、世の中をうろつく。
『ブッダの道』

ものごとにとらわれると妄執であり、執着である。それを失ったときの苦しみは大きくなる。ではどうすればいいのか。本質を見極める眼を得ること。これを解脱といい、そのために修行するのである。

仏陀

2017年3月23日

古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されて
はならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引す
る者(妄執)にとらわれてはならない。
(『ブッダの道』2008 学研)

いいことが書かれいます。しかし易しいようで難しい、
だけどここから脱皮せねばならない。
そういうことでしょうかね。

成功者の条件

2017年3月22日

一つ:安心させること
 医者が手術する場合を想像してみましょう。医者が患者に「これが私の最初の手術です」と言えば患者さんはどんな気持ちになるでしょうか。勿論生きた心地はしないでしょう。また家族の方々はどんな気持ちになるでしょうか。
 本で読んだのか運転手さんから聞いたかはよく覚えていませんが、観光バスで一番上手な運転手とはどんな運転手さんか知っていますか、というのがありました。皆さんはご存知ですか、それはバスが走行中いつの間にか「多くの乗客が眠っている」ということだそうです、お客さんは安心しているので眠れるのですね。反対に下手な運転手さんの乗客は座席とか何かを握り締めてとても緊張しているそうです。
 経営者なら社員が安心して働ける会社にすること、例えば100年に一度の世界的大不況下なら社長は余裕をもつこと、そして社員を安心させること。
 取引先なら安心感を与える、店なら安心して買ってもらえる、食べ物屋なら安心して食べてもらえる、輸送業なら安心して乗車してもらえること、など。
 以上からいかに安心感を与えることが大事であるかお解かりいただけたでしょう。

仏陀

2017年3月22日

いかなる苦しみが生ずるのであろうとも、
すべて認識作用によって起こるのである。
認識が消滅するならば、苦しみが生ずる
ということはありえない。
(『ブッダの道』2008 学研)