水間観音

 
◆水間寺の由来(水間寺由来記より)
聖観音(当寺のご本尊)出現の瀧 - 「降臨の瀧」
聖武天皇42歳の厄年に夢のお告げ
水間寺の創建は、人皇四十五代聖武天皇が四十二才のとき、ご病気にかかられ、なかなかご平癒になられなかったその時、夢のお告げがありました。
「この奈良の都より西南の方角にあたって観世音菩薩がご出現なされる。よってこの観世音の尊像を都にお供をしてご信仰申せ」とのこと。聖武天皇は、勅命をもってこの仏像を探すことを命ぜられました。

行基と聖観世音出現
行基菩薩が勅命を受け、この地に導かれる
その当時、生き仏として庶民より最も信頼されていた行基菩薩にこの大切な仏像を探すことを依頼されました。
行基菩薩は、この仏様を求めて、この奈良の地を発たれ、西南方の地を歩かれ、そうして到達したのがこの水間の地でありました。当時この地は今は想像も出来ないような山間部で、霊峰葛城の峯よりこんこんと流れる水の間に巨岩があり、原始林に囲まれた神域でありました。
(水間寺ホームページより抜粋)
写真は最寄の水間駅

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